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翻訳のマクロ的な把握について
文を正しく翻訳するために、一つ一つの単語の意味を確認するほか、その文をマクロ的に把握しなければならない。マクロ的な把握とは、その文の社会的と文学的な背景や、作者の思想や、文脈の繋がりなどを正しく把握するということである。マクロ的な把握は文の全体的な理解を決めている。マクロ的な意味を間違えると、その文の精神をつかまなく、反対の意味さえ出来てしまう。したがって、ミクロ的な誤訳、つまり、単語の意味の誤訳より、マクロ的な誤訳はずいぶん深刻である。 以下は例を付け、マクロ的な把握について検討しよう。 例1.(1945年)8月15日の正午から午後一時まで、日本じゅうが、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁を音もなくめくったのであった。
東北の小さい田舎町までも、暑さとともに凝固させた深い沈黙は、これまでひろ子個人の生活にも苦しかったひどい歴史の悶絶の瞬間でなくて、何であったろう。
訳文:从8月15日的正午一点到下午一点,整个日本都处于一片令人窒息的沉寂之中。转瞬之间,历史便无声地翻开了它那巨大的一页。
就连东北地区的一个小小城镇也在这沉寂中和酷暑一起凝固到一片沉寂之中,而这沉寂的瞬间,若不是迄今为止广子那苦难重重的严酷人生中令人窒息的一刻,又是什么呢? 1945年8月15日、日本は天皇により無条件降伏をした。この社会背景を分からなく、単純に言葉より訳せば、「ひろ子の人生」と「歴史の瞬間」は勘違いしやすい。したがって、マークした部分を「即便对广子迄今为止的个人生活而言,这一瞬间若不是惨痛的历史休克,又能是什么呢」と訳すのは正しいと思う。
例2.三景書房は前から知り合いでしたし、新しく文化雑誌を出す計画があったもんですから、その雑誌の編集長に推薦したわけです。そして神坂の手によって創刊されたのが東西文化という雑誌なんです。それと同時に僕は三景書房の希望にしたがってその雑誌の編集顧問という立場についたわけです。
訳文:三景书房哪方面的人与我是旧交,他们计划新出一种文化杂志,于是我就向总编辑推荐了神坂,并由神坂负责创刊了《东西文化》杂志。同时,我也应三景书房的邀请担任了该杂志的编辑顾问。
この訳文は誤訳で、文脈を正しく把握しなかった。原文に記すのは、新しく雑誌を出す計画があり、そして神坂の手によって東西文化という雑誌が創刊されたということ。つまり、この雑誌を出す前に「編集長」という人ははずがない。それによって、「編集長」は神坂である。それによって、マークの部分を「我乘机推荐神坂去当主编,这就是神坂一手创刊的《东西文化》。」と訳すのは正確のである。 例3.「婚約をしている娘さんは、どうしてこんな見合旅行のツアーにしたのですか。」 「家内に聞くと、お友達のご主人がこのツアーに参加していて、どうも彼女と一緒に行くらしいので、どの人が彼女か調べてほしいと言われたそうです。」 訳文:“您女儿已经订了婚,为什么又会参加这种征婚旅行呢?”
“听我妻子讲,一个朋友的丈夫参加了这次旅行,并且看来要约我女儿一起去,并并且想了解她是谁。”
娘さんと一緒にいく以上、彼女は誰かと知らないわけがないではないか。この訳文を読むだけ、誤訳と分かった。正しいのは、「我女儿有位朋友,说是自己的丈夫参加了这次而且看来很可能要带一个相好的女人一起去,于是那位朋友便拜托我女儿去参加旅行,帮她查明那个女人是谁。」
以上の例をまとめると、マクロな把握は大事なことと分かる。正しい訳文を出来るために、その文の背景や文脈をはっきりさせてから、それを基づいて訳すのはなによりのことである。それに、例3のように、もし出来た訳文を読んで論理的に正しくないなら、きっとその文の文脈を間違って、もう一度チェッくしなければならない。
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