寺田寅彦 秋の歌

2023-03-11 20:31:12   第一文档网     [ 字体: ] [ 阅读: ] [ 文档下载 ]

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寺田
秋の歌

寺田寅彦



チャイコフスキーの「秋の歌」という小曲がある。私はジンバリストの演奏したこの曲のレコードを持っている。そして、折にふれて、これを取り出して、独り静かにこの曲の呼び出す幻想の世界にわけ入る。

北欧の、果てもなき平野の奥に、白樺の森がある。歎くように垂れた木々の梢は、もう黄金色に色づいている。傾く夕日の空から、淋しい風が吹き渡ると、落葉が、美しい美しい涙のようにふり注ぐ。

こみちさまよ

私は、森の中を縫う、荒れ果てたを、あてもなくい歩く。私と並んで、マリアナ・ミハイロウナが歩いている。



二人は黙って歩いている。しかし、二人の胸の中に行き交う想いは、ヴァイオリンの音になって、高く低く聞こえている。その音は、あらゆる人の世の言



葉にも増して、る瀬ない悲しみを現わしたものである。私がGの絃で話せば、マリアナはEの絃で答える。絃の音が、断えては続き続いては消える時に、みか

人は立止まる。そして、じっと眼を見交わす。二人の眼には、露の玉が光っている。

むせ

二人はまた歩き出す。絃の音は、前よりも高くふるえて、やがてぶように落ち入る。

ヴァイオリンの音の、起伏するのを受けて、山彦の答えるように、かすかな、セロのような音が響いて来る。それが消えて行くのを、追い縋りでもするように、またヴァイオリンの高音が響いて来る。 このかすかな伴奏の音が、別れた後の、未来に残る二人の想いの反響である。

はか

これが限りなく果敢なく、淋しい。

「あかあかとつれない秋の日」が、野の果に沈んで行く。二人は、森のはずれに立って、云い合わせたように、遠い寺の塔に輝く最後の閃光を見詰める。



一度乾いていた涙が、また止め度もなく流れる。しかし、それはもう悲しみの涙ではなくて、永久に魂に喰い入る、淋しい淋しいあきらめの涙である。 夜が迫って来る。マリアナの姿はもう見えない。私は、ただ一人淋しく、森のはずれの切株に腰をかけて、かすかな空の微光の中に消えて行く絃の音の名残を追うている。


気がつくと、曲は終っている。そして、膝にのせた手のさきから、燃え尽した巻煙草の灰がほとりと落ちて、緑のカーペットに砕ける。

(大正十一年九月『渋柿』)




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